音楽履歴書 part1
中学時代から音楽には興味があって、小さいスピーカー付きギターを買って貰ったり、音楽室にあるドラムを適当に叩いたり。
でも、一学年18人の小さな学校だったので、バンドを組んだりは出来ずに高校入学。
そこそこ大人数の高校だったので、バンドをしたくて、バンド雑誌を教室で読んでいる所を声をかけられ、念願のバンド結成。
そこで、お前は目立たないタイプだからベースね、と言われたのがベース人生の始まり。
J-POPや、日本のバンドのコピーやりつつ、一人で練習するのはJ-フュージョン、チョッパーバキバキ。
でもアドリブがわからなくて、ジャズを理解したいと短大入学後、ビッグバンドサークルに入りウッドベースを始め、こりゃ基礎からやらないと弾けないわ、ということでレッスンに通う。
そこでようやく楽譜を読む練習をし、もっと突き詰めたいが為に音大に入ることを目指し入学。
年下の同級生や、優秀な先輩後輩に揉まれ、充実した日々。
4年生の時、1年生で入ってきた小笠原拓海氏(現山下達郎バックバンドメンバー)の誘いにより、川嶋あいのバックバンドに加入。
その後、様々なアーティストやレコーディング、テレビ、ラジオでベースを弾く。
やるか、やらないか
結局、世の中二択しかないのですよ。
やるか、やらないか。
もちろん、何らかの理由があって出来ない時はあるし、それはしょうがない。
でも、少しでも出来る状況なのにやらないのは勿体ない。
人間、どうしても臆病だからちょっと立ち止まって考えてしまう。
その時に「悩む」という状況を作り上げて人を苦しめる。
でもいくら悩んでも答えは二択。
やるか、やらないか。
人生ドミナント
ジャズポピュラー音楽理論で、ダイアトニックコードというのがあって、それぞれ機能がある。
トニックは落ち着く感じ、サブドミナントは少し不穏な感じ、ドミナントは不穏な感じ。
ドミナントからトニックへの動きをドミナントモーションと言うのだけど、不穏からの平穏という、おおよそ世に出ている音楽の大半はこのモーションをしているであろう常套句だ。
ドミナントのテンションが沢山あれば、トニックへの解決感はあるわけで、例えるなら悩みが大きいほど、その悩みが解決されたときの開放感は大きい物になる。
さて人生に例えるなら、ドミナントに♭9、♯9、♯11、♭13。。。
オルタードテンションなんだけど、最高に不穏な響きだ。
でもいつかは解決する。
だってオルタードで終わったら気持ち悪いもん。
コンテンポラリー音楽なんかは解決しないで曲が終わる事もあるかもしれないけど(笑)
人生山あり谷あり、たまにはこんな不穏なドミナントも良いスパイスかな。
ラフミックス
いつもお願いするエンジニアさんからラフミックスが送られてきた。
良い感じ!
これは名作の予感。。。
完全に自己満足だけど(笑)
でも、これくらいの気持ちじゃないと曲を世に出せない。
アーティストは自信過剰であれ!
その自信が世の中を変えてゆく。
継続は力なり。
コツコツと一歩一歩ね。
自己肯定感2
さて、昨日の続き。
日本人には自己肯定感が少ない。
それは教育と、社会システムの影響が大きい。
日本には圧倒的に自由がない。
しかし、自由への憧れはある。
だから、自由に生きる人、自由に行動する人への羨望があり、裏返せば妬み、嫉妬になる。
自分だって苦しい思い、しんどい思いをして生きてるんだから、みんなもしんどい思いをして生きていくべきだ、と。
それが社会人だ、と。
協調性という鎖でガチガチにし、社会の組織の歯車として教育されれば自己肯定感なんて育たない。
インターネットなどの情報技術の著しい発展の中で、日本は世界からかなりの遅れをとり、今でも追いついていないどころかどんどん引き離されている。
なぜ、appleやGoogle 、マイクロソフト、Facebook、Amazonがアメリカで設立されたのか。
そこには、自己肯定感、他者を認める社会があったのだろう。
なぜなら、普通、自分の子供が大学も辞めて、よくわからないパソコンなんていう機械を作っていたら日本の親ならこう言うだろう。
「そんな遊んでないで、ちゃんと就職しろ!公務員か、東芝みたいな一流企業に入れば一生安泰だぞ。」と。
~続く~
自己肯定感
最近何かと話題の労働という話題。
電通の過労死事件を発端とした労働の問題。
なぜ、過労死するまで働くのか。
なぜ、逃げないのか。
その根底にあるのは自己肯定感だと思う。
日本というのは、子供の頃からこの自己肯定感を持たせる教育をしていない。
それには日本という国の特色として、集団や組織に基づいた社会、コミュニティというのがある。
もちろん、集団で何かをする、組織を作って何かをするというのはとても効率的で合理的だし、資源の少ない日本の発展には欠かせない要素だと思う。
しかし、問題は、その集団や組織が何のためにあるかという事だ。
個人の幸せを追求するため、個人では出来ないことをするため、色んな人が集団になって個々の能力を補い合い、世の中に役立つため発展を目指す為の組織なのか。
組織の発展を第一に考え、個人はその為の駒に過ぎないのか。
今の日本は明らかに後者だと思う。
もちろん、他者の為に自分を犠牲にすることは、時として必要な事かもしれない。
しかし、自分を殺してまで他者に尽くす必要はない。
逃げるが勝ち。
今苦しんでる人はこの言葉を思い出せばよい。
自分を殺してしまうような状況だったら全力で逃げれば良い。
幸い、今の日本は逃げる事ができる。
~続く~